ジョン・バージャー『イメージ—視覚とメディア』:視覚的権力を解体する実践

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ジョン・バージャー『イメージ—視覚とメディア』:視覚的権力を解体する実践

美術館の言葉、複製技術、広告、そして権力関係を白日の下に晒し、読者が日常のイメージの中で批判的な視線を実践できるよう促す。

英国の批評家ジョン・バージャー(John Berger)は、1972年にBBCで同名のテレビシリーズ『Ways of Seeing』を制作し、その後本書を執筆した。簡潔かつ鋭いテキストと多くの図版との対照を通じ、「我々がいかに『見る』よう教えられてきたか」を問い直す本書は、以来、視覚文化(ヴィジュアル・カルチャー)とイメージ読解の入門的古典となった。これは正統な美術史の年表ではなく、イメージの「脱神秘化」をめぐる実践的レッスンである。

中核的観点:見ること、権力、そして広告

バージャーの論証は、主に4つの道筋に沿って展開される。

1. 「語」に先立つ「視覚」:複製が変えるイメージの意味

我々は常に、理解は言葉による説明から来ると考えがちだ。だがバージャーは、「見ること」は言語に先行すると説く。写真と印刷は作品をその本来の場所から引き剥がし、新たな文脈へと持ち込む。一枚の絵が、異なるページ、異なるキャプション、異なるレイアウトの下に置かれることで、全く異なる意味を帯びるのだ。したがって、イメージを読むとは、まずその「文脈」と「配置」を読むことであり、単に「内容」を読むことではない。

2. 油彩画の伝統=所有の美学。「ヌード」=見られるための身体

ヨーロッパの油彩画は、長きにわたり富と所有権に奉仕してきた。風景、器物、人物は、「所有者」の視点を強固にするために配置された。いわゆる「ヌード画」は、女性を「見られる」位置に置くことが常であった——彼女は、自らが見られていることを確認するために観客を見つめ、その身体は評価され交換可能な「オブジェ」として組織される。これは「まなざし」と「権力」が、いかにイメージの中で密かに作動しているかを暴露する。

3. 広告という現代の油彩画:欲望を商品文法へ

大衆社会において、広告は油彩画の機能を継承した。それはもはや「すでに所有しているもの」を讃えるのではなく、「まだ所有していないもの」の幻影(イリュージョン)を製造する。広告は、その光沢とポーズをもって「それを買えば、あなたはより良い自分になれる」と呼びかける。「羨望」と「グラマー(光輪)」が伝統的な神聖性に取って代わり、現代イメージの主旋律となった。

4. 脱神秘化:読者による視覚の主導権奪回

「権威ある解説」は、しばしば芸術を専門用語と崇高さで包み隠してしまう。バージャーはテキストとイメージの並置を用い、いかにして専門用語や権威的な物語を解体し、検証可能な構図、選択、展示方法へと立ち返るかを示範する。誰もが自らの視線と経験でイメージを読むことを学べるのだ。

価値と影響:道具として、そして公共言語として

『イメージ—視覚とメディア』の不朽の価値は、二つの層で理解できる。

  • 方法と道具としての価値:本書は三つの即時利用可能な道具を提供する——(a) 文脈による読解:同一イメージが異なる場所/キャプションでいかに変容するか。(b) まなざしと権力の分析:誰が見て、誰が見られ、誰が展示を決定するのか。(c) 日常的批判の実践:美術館での分析方法を、新聞、広告、SNSのイメージに適用する。これにより読者は「理解」を「鑑賞」から「識別」と「判断」へと引き上げることができる。
  • 長期的影響:本書は「まなざし—表象—権力」という問題を一般の視野に持ち込み、後の視覚文化研究、フェミニズム視覚批評、メディア・リテラシー教育、そしてキュレーションの実践に基礎を築いた。ソンタグの『写真論』と共に、現代のイメージ読解における「公共言語」を形成した。——我々はイメージを見ているだけでなく、イメージによって形成されてもいるのだ。今日なお、本書は広告やSNS、ニュースのイメージを理解するための迅速な起動装置であり続けている。

『イメージ—視覚とメディア』が教えるのは、あらゆるイメージを前に、まずこう問うことである——我々の視線を仕組んだのは、誰か?

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